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Love at first sight
2023.04.10

Love at first sight

断捨離魔の私が
唯一
どうしても
捨てられないジュエリーがある。

16年前、
初めて
自分自身のために購入した
小さなパールのネックレス。

2007年4月。
出版社の編集者になるという
夢のスタートラインにようやく立ち、
地元の大学を卒業して
上京してきた私だったけれど、
東京にはまだ
休日に遊べるような友達もおらず
文字通り
仕事漬けの毎日を送っていた。

初任給は、手取り20万円弱。
初めての1人暮らしで選んだ6畳一間の
マンションの家賃は、8万2千円。
携帯電話代、
水道光熱費、
奨学金の返済。
固定費だけで
お給料の半分が飛び、
貯金なんて、
月1万円するのがやっとだった。

「人間はただ生きるだけで
こんなにお金がかかるのか…」
と毎月、
残高が一向に増えない通帳を
眺めながら
ため息をついては、
家族4人を養ってくれた
父の苦労をよく想っていた。

「お金もない。
まだ社会の役にも立てていない。
でも、夢だけはある。
まずは入社1年目を
一心不乱にやり抜こう。
そして初めてのボーナスで
自分にご褒美を買うんだ」

それを励みに、頑張った。

大学3年生の時に大学を休学して
英国に語学留学していた私が
帰国して
就職活動を始めた頃、
同級生たちは
すでに
新社会人生活をスタートさせていて、
私は、
励まし合う仲間もおらず、
文字通り
孤独な就活生だった。

ましてや
同級生の7割が金融系に就職する
経済学部では
マスコミに就職したOB・OGは
ほぼおらず、
今のように
SNSでの情報収集も難しい時代。

私の就職活動は
参考書や情報誌片手に
ひたすら
独学で、
行き当たりばったりで、
闇雲なものだった。

今思い返せば、
現在の私の根性やしぶとさは、
あの、たった一人で挑んだ
就活時代に
培ったものなのかもしれない。

そうして
2007年12月。
4月に入社し、
6月に新入社員研修を終えて
7月から配属されてからちょうど半年。

24歳の私は、
生まれて初めての
「ボーナス」を手にした。

通帳に印字された
「賞与」の文字。

あの時の
感慨深さといったら、
いまだに言語化できない。

「全く会社に貢献できていない
新人にもかかわらず
こうして
ボーナスをいただけているのは
ひとえに先輩達のおかげ。
新入社員へのボーナスは
会社からのエール。
必ずいい編集者になって
先行投資した意味があったと
思ってもらえるように
期待に応えなくては」

あの頃の真っ直ぐな私よ。
それで、正しい。
よく、頑張った。

半分は貯金、
半分の半分は両親へのプレゼント。
もう半分の半分は自分自身へ。

ジュエリーを贈ろうと決めていた。

忘れもしない
12月最終週の土曜日。

私は1人で横浜のルミネにいた。

一粒パールのピンキーリング。
華奢なゴールドのブレスレット。
イニシャルのついたペンダント...etc.

ずいぶんと長い間、
お店からお店へ行ったり来たり。

悩みに悩んで
私が選んだのは、
小粒なパールが一連になった
ショートネックレス。

ショーケースに並んでいるのを
一目見た瞬間、
「あ、この子だ」と思った。

あの日、
ショーケースの前で
静かにパールのネックレスを
見つめる私を
催促することなく
ニコニコと見守ってくれた
ジュエリー店のお姉さん。

「初めてのボーナスで...
自分へのご褒美なんです...」

もじもじする私に
「わぁ、なんて素敵なお金の使い方!
一生の思い出ですね!」
と言って、
赤いリボンをかけてくれた。

嬉しかった。

当時の自分にとっては
清水の舞台から飛び降りるほどに
高い買い物。

以来、
私の大事な日には
いつも一緒にいてくれた。

今も
お気に入りのチェストに並べられた
スタメンジュエリーの隣にいる
16年前に購入した
パールのネックレス。

残念ながら
この年月で
あちこちが錆び、
留め具も緩み、
ゴールドも剥がれてしまった。

いい感じのヴィンテージ、にも
なれていないので、
しっかり大人になった今、
改めて身につけるのは難しい。

それでもやっぱり
どうしても、捨てられないのだ。

私の、夢の原点。
お守りのような存在。

一生に一度の
マイファーストジュエリー。

_
text :
小寺智子
1983年生まれ、北海道出身。編集者。O型。
INSTAGRAM:@tomoko_kodera

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