Teardrops
私の親友は、
20歳の時に突然、大病を患った。
「あのね、私、病気になっちゃった」
「・・・・・・・・え?病気?」
同じくまだ20歳だった私は、
その突然の告白に、言葉を失った。
どうして?
こんなに若いのに?
いつから?
・・・ねぇ、もしかして死んじゃうの?
唯一の親友を失うかもしれない。
怖くて、怖くて、
それまでに経験したことのない
恐怖が一気に押し寄せてきて
気づけば
私は、彼女の前で泣きじゃくっていた。
今思えば
とてもさっぱりとした表情で
淡々と事実を伝えてくれた彼女は、
とっくに前を向いていた。
きっと、
独りで散々泣いた後だったのだろう。
それなのに私は、
私自身のパニックを対処することに精一杯で、
彼女に寄り添ってあげることができなかった。
ごめんね。
それから、
彼女の過酷な治療の日々が始まった。
学生時代
学年一の美人だった彼女は
サラサラだったロングヘアも
くるんと長かった睫毛も失った。
私は、
毎日のように祈っていた。
「どうか今日は、気持ち悪くなっていませんように」
「どうか今日は、おいしいごはんを食べられていますように」
彼女から
「寛解したよ」という連絡をもらったときは
人生で一番泣いた。
そして今度は
「完治」に向けての5年間が始まった。
当時、
回復した彼女と2人で
温泉旅行に行ったことがある。
ドライブして、
観光して、
温泉に入って、
2人でまた出かけられることが嬉しくて、
私たちははしゃぎ回った。
そして
今でも忘れられないのは、
旅館で夜ごはんを食べていたときに
もう楽しくて、楽しくて
仕方がなさそうな彼女が、
「ふぅ、暑いなぁ...いいや、はずしちゃお!」
と、突然ヘアウィッグを外した瞬間。
(・・・ぎょっ)
周りにいた宿泊客の方たちの
反応に音をつけるなら
間違いなく、これだった。
大人たちは気まずそうに目を逸らし、
子どもたちは無遠慮にじっと見つめている。
「これはマズイ・・・」
親友が傷ついたのではないかと
さすがに慌てる私をよそに
彼女はといえば
周囲から一気に集まる視線など
気にも留めずに
両手で大きな毛がにを堪能していた。
その様子をしばらく眺めていたら、
どうしようもないくらいの笑いがこみあげてきて
私は大笑いしていた。
親友よ、あなた最高。
そんな私につられて彼女も大爆笑。
「ねぇ、あとでメイクしてあげるよ」
「髪も睫毛もないから映えないよ(笑)」
「そっか(笑)。そしたら快気祝いに可愛いピアスを買ってあげよう」
「やった~♡ アクセサリーなら髪も睫毛もなくても可愛くなれる!」
あれから20年。
彼女は今、看護師であり、一児の母でもある。
今だから言えることがある。
あの頃に
私は「神様」を信じることをやめた。
彼女ほど優しく美しい人なんていないのに
神様とはなんて意地悪なのか。
人生とはなんて理不尽で残酷なのか。
猛烈な怒りを感じていた。
「絶対に負けるものか」
「私は、アンフェアなんかに屈しない」
親友が病に倒れなければ
今の私の逞しさも図太さも、きっとなかった。
私自身も
社会人になってからは
心も身体も限界を迎えそうになるたびに
薬の副作用と独り闘っていた親友を
思い出しては
なんとか踏ん張ることができた。
「人生に起こる出来事には、全て意味がある」
そう、
心底信じていたから。
自分の身に起こる全ての出来事を
信頼し続けてきたからこそ今の私がいる。
ありがとうね、親友。
出会ってくれて。
そして、元気でいてくれて。
私たち、お互いに長生きしちゃおうじゃないの。
_
text :
小寺智子
1983年生まれ、北海道出身。編集者。O型。
INSTAGRAM:@tomoko_kodera