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Woman vol.7
2024.04.26

vol.7

美しい女性が好きだ。

街行く人を眺めていても
ふと、
視線が引き寄せられるのは
昔から
美しい男性ではなく、女性。

振り返れば、
私の人生にはいつだって
私自身をいい人間、いい人生に
確かに導いてくれた
「ミューズ」の存在がある。

この連載では、
そんな、実在する
私の人生において不可欠な
「women」を
愛と感謝を込めて
ご紹介していきたいと思う。

・・・

今日は、
2024年4月21日。

昨日、私は結婚式を挙げた。

母にベールダウンをしてもらい、
父とバージンロードを歩いた。

母は
私のベールをそっと下ろしながら
「幸せになってね」

そう、
小さく優しい声で
私にだけ聴こえるように呟いた。

そして普段は滅多に涙を見せない
母が、静かに泣いていた。

その母の様子に気づいた瞬間、
「あ、やっと安心してくれたんだな」
と思い、
逆に父譲りで泣き虫な私は、
一気に込み上げてきた涙を
なんとか抑え込みながら
父の腕をそっと掴んだのだった。

そう、
7話目の女性は、私の母である。

・・・

私の母は、
銀行員を経て、
私の父と職場結婚し、
専業主婦になった女性である。

結婚したのは31歳。
当時は散々「晩婚だ」と言われたそうだ。

32歳になってまもなく、私を産んだ。
母は12月27日生まれ。
私は1月2日生まれ。

今の私の年齢で
すでに9歳の娘がいたのかと思うと
母、すごい!母、若い!
と思ってしまう。

これまでの人生において
母から教わったことは
たくさんあるけれど
一番は、
「この世界はとても理不尽である」
ということかもしれない。

決して、悲観的な意味ではない。

彼女はいつも
人生の“リアル”を子どもたちに
伝え続けてくれた。

だからこそ私は、
誰よりも人を信じ、愛情深く、
“自分”という
「芯」を強く太く携えた、
真っ直ぐで正直な人間で
い続けてこられたのだと思っている。

ただ
この世の不条理を嘆くだけでもなく、
かといって
夢を夢のままで終わらせるのでもなく、
厳しい現実を生き抜くために
ブレることのない自己肯定感、
そしてタフで逞しい
根性、情熱を育ててもらった。

「自分の人生は
自分自身で切り開いていくしかない」

10代後半の頃には
当たり前のように
そう思っていたように思う。

と同時に、
私が常にやりたいことを探求し
在りたい自分を追求して
挑戦し続けてこられたのは、
何があっても
私が唯一素直に甘えられて、
絶対的な味方でいてくれる、
両親という存在があったからだ。

「小寺の家族は仲がいいよね」

昔からよく言われるのだけれど、
正直、“仲良し”という言葉には
毎回、違和感を覚える。
ちょっと、違う、のだ。

父、母、私、弟。
私たちは
ひとつのチームとして
おのおのが自立している。

いざというときは
一丸となって大きな帆になるけれど、
留学も、就職も、転職も、結婚も
ほとんどのことは事後報告だったし、
普段は互いにクールでドライ。

・・・

過去に一度だけ、
「私の育て方が
間違っていたのだろうか」
と、母を哀しませてしまう
出来事が起きたことがある。

彼女は
「娘の人生を台無しにされた」
と、毎日泣いて暮らしていたようだ。

母を安心させられるとしたら
私がどれだけ
前向きな言葉を重ねることよりも
客観的に状況が好転することだろうと
わかっていたので、
私は一刻も早く
この苦境を打破するべく考え続けた。

ちなみに父は、
少なくとも私の前では
決して動じた様子は見せず、
「君は、私の娘だから」と、
ドンと構えてくれていた。

そしていつものように
「君にはいつでも帰って来られる
場所があることを忘れずにね」
とも、言ってくれた。

そういう父の
“THE・昭和な親父感”は
娘として一番、好きなところだ。

「余計な雑念には耳を傾けず、
自分なりの一生懸命で頑張れ」

当時、
父から届いたこのメッセージを
震えながら読んだ日のことは、
今でも忘れられない。

・・・

今、
小寺家の話題の中心は
もっぱら
昨年生まれたばかりの姪っ子である。

私も、知らなかった。
姪っ子が、こんなにも愛おしい存在だなんて。
彼女のためなら、何でもしてあげたい。
そう、自然と湧き上がる想いがある。
小さな小さな、新しい家族。

両親にとっても
70代になって迎えた
待望の孫ということで、
2人の溺愛っぷりといったら途轍もない。

一生に一度の
娘のウェディングドレスよりも、
姪っ子のお呼ばれドレスの方が
気になって仕方がないほどに
久しぶりの孫との再会を
待ち切れない彼らを見ていると、
笑いが止まらなかった。

私は、ただただ、ホッとしたのだ。

あぁ、
彼らにとって、
とりわけ心配性の母にとって、
私はようやく
“もう心配しなくても大丈夫”
な娘になれたのだなぁと。

・・・

ママへ

40年間
心配ばかりかけてしまったけれど
私はもう、大丈夫。
私も、小寺家に負けない最高の家族を作ります。
どうかこれからは
孫の成長を楽しみに、
できることなら
孫の結婚式にも参加できるくらい
パパと助け合い、支え合って
健康に、長生きしてね。

娘より

_
text :
小寺智子
1983年生まれ、北海道出身。編集者。O型。
INSTAGRAM:@tomoko_kodera

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