Loading...
Woman vol.10
2024.07.26

vol.10

美しい女性が好きだ。

街行く人を眺めていても
ふと、
視線が引き寄せられるのは
昔から
美しい男性ではなく、女性。

振り返れば、
私の人生にはいつだって
私自身をいい人間、いい人生に
確かに導いてくれた
「ミューズ」の存在がある。

この連載では、
そんな、実在する
私の人生において不可欠な
「women」を
愛と感謝を込めて
ご紹介していきたいと思う。

・・・

私は今、この原稿を、
久しぶりの海外撮影で
ヨーロッパに向かう飛行機の中で
書いている。

たった独りで長時間、
飛行機に乗るのは久しぶりだ。

こんな時にやはり
ふと想いを馳せてしまうのは、
22歳のとき、
大学を休学して
ロンドンに留学するために
北海道の新千歳空港から羽田空港、
そして成田空港へと移動し、
そこから
イギリスのヒースロー空港へ
独りで向かった、あの日のこと。
生まれて初めて搭乗した国際線は、
ブリティッシュ・エアウェイズだった。

新千歳空港で
応援メッセージを書いた横断幕を作って
見送ってくれた親友たちや
最後まで心配そうに手を振っていた母、
そして高校生の頃から
長くお付き合いしていた当時の恋人。

彼らに背中を押され、
長年の夢だった海外留学を
ようやく果たせたというのに、
みんなの顔が次々と浮かんでしまい、
羽田空港から成田空港に向かうバスの中で、
すでに不安でいっぱいだった。

私の「日常」が大きく変わる。
言葉の通じない、遠い異国の地で。
その事実と初めて向き合い、震えていた。

そんな、2005年の春。

・・・

そしてロンドンでの生活にも
ようやく慣れてきた
2005年7月7日。

私は、
「ロンドン同時多発テロ」を経験した。

その朝、
私はいつも通りに
ホストファミリーと朝食を食べ、
みんなとハグをして、
近くのカフェで買った
ホットチョコレートを片手に
家の近くのバス停で
ダブルデッカーに乗り込み、
お気に入りの2階の窓際の席に座って、
景色を眺めながら学校に向かっていた。

そんな
私にとってようやく
穏やかに過ごせるようになっていた
「日常」が、あの日を境に変わった。

「なんだか変だなぁ…」と感じたのは、
街中を走っている赤いバスたちが、
次々と迂回をして
元来た道を戻り始めていることに
気づいたから。

警察官があちこちに立っていて、
どことなく、街中が物々しい。

私はすぐに2階から階段を降りて、
すっかり顔馴染みになっていた
ドライバーの彼に尋ねた。

「どうしたの?」

「わからない。
けれど何か起きたことは間違いない。
このバスも、戻らなくてはならない」

「ここで降りてもいい?」

「気をつけて。無事を祈ってる」

そして
学校まで走って向かう途中で、
警察官から何が起きたかを知らされた。

「朝の通学・通勤時間を狙って
地下鉄と2階建てバスで
同時に爆発が起きて、亡くなった人もいる」
と。

「世界的なニュースになっているから
一刻も早く、無事だと家族に
知らせなさい」
と。

(爆発? 爆発って何…?)

混乱した頭のまま、
私はホストマザーに
電話をしてみたけれど、
もちろん繋がらない。
ショートメールの返事もない。

(ホストファミリーの誰かが
地下鉄やバスに乗っていて
巻き込まれていたらどうしよう…)

とにかく怖くて、心細くて、
どうしようもなかった。

何より、
当時は今とは違って
外国で離れて暮らしている家族や友達と
気軽に連絡できるような
ツールはなかったから
(そう思うと、
今は本当に、ありがたい時代だなぁ)
日本の家族に無事を伝えられたのは
結局、翌日になってからだった。

「絶対大丈夫、と思っていたけれど、
連絡を待っている間は
生きた心地がしなかった」
と、母に言われたときは、涙が出た。

テロが起きたことで
ロンドン市内の交通網は完全に麻痺したので、
私は夕方まで学校の友達と過ごし、
その後、数時間かけて徒歩で帰宅した。

Google Mapsの道案内なんて
もちろんない時代。

方向音痴な私は、
自分の記憶だけを頼りに、
いつもバスから見ていた
景色を思い出しながら歩き続け、家路に着いた。

幸い、
ホストファミリーはみんな無事だった。

ドアを開け、
迎え入れてくれたマザーは、
私の名前を呼びながら泣いていて、
お互いに強く、抱き締め合った。

そしてその日、
すっかり私たちの日課となっていた
夕食後のロイヤルミルクティとクッキーで
家族の無事に感謝して乾杯したあと、
マザーが私にかけてくれた言葉がある。

「今日 1 日ずっと、
もし Tomoko を失ったら、
日本からお預かりしたご両親に
どう償えばいいのかと考えていたの。
あなたを守れなかったことを
一生悔やんで生きることになるのだろうと覚悟した。
でもね、 Tomoko、聞いて。
人生はこんなふうに
突然終わりを迎えることがあるの。
だから、あなたはまだ若いけれど、
今日からいつ死んでもいいように生きなさい。
愛する人には愛していると毎日言うの。
ありがとうもごめんなさいも
先延ばしにしたらダメよ」

あの日、彼女のあの言葉がきっかけで、
私の「座右の銘」は決まった。

「Live as if you were to die tomorrow.
Learn as if you were to live forever.」

(明日死ぬと思って生きなさい。
永遠に生きると思って学びなさい)

感情に、真っ直ぐに生きること。
心を尽くし、愛を惜しまないこと。

あれはきっと、
私という人間の
人生の“本質”が定まった瞬間、
だったのだと思う。

10話目の女性は、
私の人生において
深く、確かな死生観を授けてくれた
ロンドンのホストマザー・Hazel Quigley.

マザー、ありがとう。

_
text :
小寺智子
1983年生まれ、北海道出身。編集者。O型。
INSTAGRAM:@tomoko_kodera

未入力の 件あります